長保屋の屋号の由来

長保屋の遠祖は花山天皇(在位984年~986年)に仕え天皇に中国伝来のお茶を献じる役に任じられていたと伝えられています。一条天皇に在位を譲った後、花山天皇は御幸せられ加賀国能美郡梯川の辺りに法皇館を構えられ、長保屋の遠祖は館の近くに移住し、引き続き献茶の役を務めていました。寛永五年(1008年)花山法皇宝玉後、そのあたり一帯は小松原となったが長保屋の遠祖は御恩を忘れ難くそこに留まり、次第に民家が集まって小松と称するに至りました。

長保屋の遠祖が小松原に住み着いたのが、長保年間(999~1004年)なので代々そこに居住した子孫が屋号に長保屋を用いるようになりました。