加賀茶の始まり

加賀藩三代目利常が、寛永十六年(一六三九)五月、将軍家光の許しを得て、子の光高に加賀藩をゆずり、 小松城に隠居することになりました。利常は、小松の町の産業を盛んにすることによって、人々の活力を与えようと試みました。そのためいろいろな産業をおこさせたのですが、なかでも茶の生産に目をつけました。そして、山城の国 (現京都府)から茶の種を取りよせて、長谷部理右衛門に栽培させたのです。篤志家として名の高かった理右衛門 は、金平(現金平町)や瀬領(現瀬領町)で自らつくった茶を利常に差し上げました。利常はたいへん喜び、金平 で生産された茶には「こがねの薫り」、瀬領で生産された献上茶には「谷の音」という銘をつけました。この地方に茶の生産がおこった最初だといわれています。

万治元年(一六五八)に始まった製茶業は、長谷部家を中心にこの地で盛んになりました。おもに国府村埴田 (現小松市埴田町)付近をはじめ、金平、瀬領、今江、矢崎、那谷あたりまで多くの茶畑をひらき、広く茶が栽培されるようになりました。